Home / 恋愛 / 番の心がわり / 第31話 自業自得

Share

第31話 自業自得

Author: 酔夫人
last update publish date: 2026-06-12 14:54:29
【ラーシュ視点】

サリンドラ公爵の牢へ背を向けたラーシュは、そのままさらに奥へ続く通路へ足を向けた。

王城地下最深部。

石壁には苔が張り付き、湿った空気が肌へまとわりつく。

陽光など決して届かない場所。

長い通路の突き当たり、黒鉄で造られた重厚な扉の前でラーシュは立ち止まった。

オーレリウスが一歩前へ出る。

腰から取り出した禍々しい黒鍵を錠へ差し込み、静かに回した。

鈍い金属音が響く。

ゆっくりと扉が開いた瞬間――ラーシュは眉をひそめた。

腐臭にも似た湿った空気。

その中へ混じる、微かに甘い香り。

忘れようとしても忘れられない。

己の番――サラリアの匂いだった。

「……におう」

低く呟くと、オーレリウスが静かに頷く。

彼が片手を上げると、水魔法が発動した。

壁。

床。

天井。

勢いよく水が叩きつけられ、何度も洗い流される。

それでも。

匂いは薄くなるだけで消えなかった。

「もういい」

ラーシュが制止すると、水音が止む。

一歩踏み出す。

靴底が水を踏む音だけが静かに響いた。

石室の床には足首ほどまで水が溜められている。

完全な闇にならないよう、壁際には小さなランプが灯されていた。

その薄
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 番の心がわり   第40話 仕方がない

    「さて、こちらの建物はどうなさいますか?」オーレリウスの何気ない問いに、サラリアは首を傾げた。「建物、ですか?」「ええ。この家です」オーレリウスは当然のように続ける。「売却や賃貸とするのであれば、こちらで手配いたします。もちろん、そのまま残しておくという選択肢もありますが、人が住まない家は傷むと聞きますので」「……え?」サラリアは思わず目を瞬かせた。「傷むって……せいぜい埃が積もる程度では?」その言葉を聞いたオーレリウスは一瞬だけ目を丸くした。そして、何かに気づいたように苦笑する。「失礼しました」深く頭を下げる。「私の説明不足です」「説明不足……?」「発現は、一度で終わるものではありません」「え……?」「始まり方や規模には個人差がありますが、終わる時期はほぼ共通しています」オーレリウスは静かに続けた。「発現は十五歳頃まで、不定期に何度も繰り返し起こります」サラリアは言葉を失う。「トール様のご年齢ですと、十年間くらいですね」十年。あまりにも長い年月だった。「幼い頃ほど頻繁に発生するので、しばらくはドラコニアで生活していただくのが最も現実的なのです」オーレリウスは穏やかな口調で説明する。「もちろん、ご希望があれば地上との往復も可能です」「本当ですか?」「ただ、お勧めはいたしません」「どうして……?」「浮島へ上がるたび、身体を慣らす必要がありますので」「慣らす?」「空気です」サラリアは首を傾げた。「ドラコニアは空にあります。空気の密度が地上とは違いますので、慣れていない竜族以外の種族の方々は身体

  • 番の心がわり   第39話 深い傷跡

    【オーレリウス視点】オーレリウスはサラリアの青ざめた顔を静かに見つめた。説明はまだ終わっていない。本当に伝えなければならないのは、この先だった。「発現は人それぞれなので何がどの規模で起きるのかは分かりません」努めて穏やかな声で続ける。「ですが地上で発現が起きれば、大洪水、竜巻、大火、地割れ……いずれにしても、この町は壊滅的な被害を受けるでしょう」予想通り、サラリアの顔から血の気が引いた。トールを抱く腕に力が入る。この町を守れないことを恐れている顔だった。(やはり、この方はそういう方ですね)自分以外を気に掛ける。自分を一番大事にすることはしない。自分なんかとどこかで卑下している。それは優しさともいえるが、完全なる優しさとは言えない。だからラーシュは苦しみ続けている。(それを分かっていて俺はそれを利用する)良心は痛まない。必要だと思っているから。「宰相閣下が自ら説明に来られた理由が分かりました」サラリアは小さく息を吐いた。「説明と、今後の方針を決める……時間の余裕がないから、今すぐに」「ご理解が早くて助かります」オーレリウスは微笑む。本心だった。同時に少しだけ申し訳なくもあった。トールの発現はドラコニアで迎えるのが最善だと言った。それは事実ではある。だが、地上では絶対に無理とは言っていない。世界は広い。無人で広大な土地などいくらでもある。だからオーレリウスは『この街』を強調した。サラリアを動揺させるため。サラリアにドラコニア以外の選択をなくさせるため。.「魔力を暴走させている間、トールは……?」震える声だった。

  • 番の心がわり   第38話 再会

    先に連絡が来ていた。だから、店に『竜王の使者』の竜人が来ても驚かなかった。「竜王の使者とは、オーレリウス様でしたか」「改めまして。オーレリウス・ウィンドスケイルと申します。ドラコニアで宰相の職をいただいています」「……宰相になられたのですか?」騎士だったのではないのか。サラリアにじっと見つめられ、オーレリウスは苦笑しながら頷いた。「ええ。出世しました」「ずいぶん道なりが気になる出世街道ですね」「その辺りは、追々」意味深な返事だった。これから先も関わるつもりなのだろう。そう思うとサラリアは少しだけ身構えた。「……どうぞ、お入りください」扉を開ける。「トールの熱の原因と、治す方法を教えてくださるのでしょう?」「そのために参りました」二人は二階へ上がる。リビングではソファに座ったトールが絵本を読んでいた。熱のせいか頬は赤く、いつもの元気はない。足音に気づき顔を上げる。オーレリウスは真っ直ぐトールの前まで歩き、片膝をついた。そして騎士が王へ捧げるように深く頭を垂れる。「お初にお目にかかります。オーレリウス・ウィンドスケイルと申します」「……だれ?」眠そうな声。それでもオーレリウスは笑顔を崩さない。「ドラコニアから来ました。今日はお母様を少しだけお借りしますね」トールは首を傾げた。ドラコニア。聞いた覚えはあるようだけど、意味はよく分からない。そんな顔をしていた。だが、嫌ではないようだ。驚いたことに、安心しているような顔をしている。「幼くてもやはり竜族ですね」「そうですね。瞳も鱗も竜族の特徴が出ています」おかげで直ぐに竜族の子どもだと分かってしまった。「違いますよ」オーレリウスはサラリアの言葉を笑って否定した。「この独占欲です」「え?」独占欲。「庇護欲にも似ていて、サラリア様を守る騎士のようですね」「私を?」守っている。何からと考えて、サラリアは内心苦笑した。店へ来る男たちにトールは不機嫌になっていた。男なら誰でもというわけではない。ただ一定の男たち。そういう男がサラリアに近づこうとすると、決まってトールは傍にきた。「私には番がいるから警戒する必要はない。トール様はそうご判断なさったのでしょう」オーレリウスの言葉にサラリアは納得した。半分は、その通りなのだろう。けれど、そ

  • 番の心がわり   第37話 独占欲

    【ラーシュ視点】「彼女の目に映る者も、彼女の声を耳にする者も、彼女に触れる者も、自分だけでなければ許せない」オーレリウスの声は穏やかだった。だが、その内容は竜人らしい苛烈さに満ちていた。「あとは屋敷の一番奥、一番安全で、誰の目にも触れない場所へ隠しておきたい宝物でしょうか」微笑みながら続ける。「いっそのこと、ぱくりと一飲みにして、自分の身体の一部にしてしまいたいですね」ラーシュは思わず苦笑した。「それが愛かどうかは分からんが、番に対する正常な感覚だな」「そうですね」オーレリウスも苦笑した。「番が愛そのものなのですから、番に対する感覚を愛以外の言葉で説明するのは難しいでしょう」そして肩を竦める。「食べてしまいたいのも本音ですよ。私の血肉になってしまえば誰にも奪われませんし、誰にも触れられることもありませんから」「それなら、なぜ食わない」「勿体ないからです」あまりにも即答だった。「彼女の笑顔も、泣き顔も、怒った顔も、声も、匂いも、全部好きなんです。それを食べて終わりにするなんて勿体ないでしょう?」できるかどうかではない。勿体ないから食べない。人族のサラリアが聞けば悲鳴を上げそうな会話だった。「だからこそ」オーレリウスは穏やかに続けた。「自分以外の男がサラリア様の目に映ることも、声を聞くことも、触れることも我慢していらっしゃる陛下は、本当にサラリア様を愛しているのだと思います」ラーシュは黙った。「荒れ狂う独占欲を」「……」「耐え難い苦痛を」「……」「サラリア様をこれ以上傷つけたくない、その一心だけで耐えていらっしゃる」それは事実だった。会いたい。抱き締めたい。傍へ置きたい。全部、本音だ。だが、それはもうラーシュの我侭でしかない。ラーシュが姿を見せれば、サラリアは逃げる。身を売ってでも。あの手紙にはそう書かれていた。もちろん、力尽くで連れ戻すことはできる。ラーシュは竜王だ。攫ってきて、かつて閉じ込めていた宮へ戻すこともできる。(だが……)サラリアはきっと自分を憎む。これ以上嫌われたくない。その一心だけで、ラーシュは衝動を押し殺していた。「彼女にも、俺が感じているものが分かればいいのに」ぽつりと漏らす。「残念ながら、種族の違い以前の問題ですね」オーレリウスは肩を竦めた。「番の感

  • 番の心がわり   第36話 愛とは

    【ラーシュ視点】オーレリウスの報告を聞きながら、ラーシュはこれまでの出来事を思い返していた。だが、苦い後悔に浸る時間は与えられなかった。「陛下の後悔はさておき、いまはトール様の発現のほうが問題です」王へ向けるにはあまりにも率直な言葉だった。だがラーシュは不快には思わない。むしろありがたかった。オーレリウスは必要なとき、必要なことしか言わない。遠慮もしない。忖度もしない。王であるラーシュにこれができる者はほとんどいなかった。サリンドラ公爵家の事件以降、城中の者たちはラーシュへ必要以上に気を遣うようになった。大規模な粛清を恐れているのだ。公爵家への家宅捜索によって、多くの協力者が発覚した。潔白だと思われていた者まで次々と捕らえられ、城を追われた。一時は城勤めの者が事件前の三分の二にまで減ったほどだった。特に混乱したのは、サリンドラ公爵が率いていた宰相府だ。部署は空席だらけ。即時逮捕だったため引き継ぎもほとんど残されていない。事件から四年が経った今なお、完全には立て直せていなかった。その後任としてラーシュは、ウィンドスケイル公爵へ宰相就任を打診した。名門。温厚な人格。人望も厚い。騎士団長である彼には畑違いだと承知していたが、混乱を乗り切るには最適だと思った。しかし公爵は首を横に振った。「それにはオーレリウスが適任でしょう」その一言が、息子への最大の後ろ盾となった。以来四年間。オーレリウスはラーシュを支え続けている。◇◇◇オーレリウスは頭の回転が速い。文官気質で武芸は好まないと言いながら、武門の家に生まれた責任だと鍛錬も怠らない。努力を惜しまない男だった。そして何より公平だ。「トール様が発現なさったとき、一番危険なのはサラリア様です。頑丈な竜族ならまだしも、あの方は人族です」ドラコニア中が王竜の誕生に浮き立つ中、オーレリウスだけはサラリアを見ていた。子を宿した一人の女性として心配していた。(……その通りだ)ラーシュは素直に頷いた。発現時に暴走した竜が最初に傷つけるのは、最も近くにいる母親であることが多い。まして王竜なら被害は比較にならない。その衝撃を、人族のサラリアが耐えられる保証はどこにもなかった。(……サラも、オーレリウスの言葉なら聞くかもしれない)そんな考えも胸を過った。◇◇◇

  • 番の心がわり   第35話 「だから、なに」

    【ラーシュ視点】使用人ですら、ラーシュの傍にいることをシーリアは許さなかった。世話をする者はいた。だが、誰も長くは続かない。情を抱かせないため。信頼を築かせないため。ラーシュが誰かを好きにならないように。誰かを信じないように。短い期間で使用人は次々と入れ替えられた。だからラーシュには友人がいなかった。話し相手も。秘密を打ち明けられる相手も。誰一人。孤独だけが当たり前だった。だからこそ。シーリアが一人の少女を連れてきた日のことを、ラーシュは今でも鮮明に覚えている。「シーラよ」紹介された少女を見た瞬間、ラーシュは思った。――似ている。シーリアに。名前も。顔立ちも。仕草も。笑い方までも。当時は偶然だと思っていた。シーラはシーリアの双子の妹の孫娘。血が近いのだから、似ていて当然なのだと。だが、違った。調査ですべてが明らかになった。シーリアは自分によく似た彼女を選んでいた。血が近く、容姿も似ていて、自分の代わりになれる娘。ラーシュへフォーデンになることを求めたように。シーリアはシーラへ、自分になることを求めた。フォーデン役はラーシュ。シーリア役はシーラ。二人が愛し合う姿を眺める。そんな狂った芝居を完成させるために、シーリアはシーラを自分になるように育てた。年頃になると、シーリアはシーラをラーシュの婚約者にしようとした。だが、それは叶わなかった。議会が猛反対したからだ。シーリアの意向は絶対だった。幼い竜王の後見人。誰も逆らえない。それでも婚約だけは認められなかった。理由はいくつもあった。サリンドラ公爵家へ権力が集中し過ぎること。ウィンドスケイル公爵家との均衡が崩れること。そして、ハトコ同士という近すぎる血縁。近親婚による子への影響を示す研究結果まで提出され、病弱だったフォーラの存在も追い風となった。結局、それをシーリアは覆せなかった。その決定が下された直後だった。冬の朝。シーリアは死んだ。雪の積もる庭で。冷たくなった姿を庭師が見つけた。竜人が転落死するなど考えられない。原因不明。犯人不明。結局、不審死として処理された。本当は誰も真相など知りたくなかったのだ。ラーシュも。祖母の死を知ったとき、胸に浮かんだのは悲しみではなかった。ようやく終わった。よ

  • 番の心がわり   第30話 サリンドラの謀略(2) sideラーシュ

    開祖サリンドラの遺した薬。公爵の顔が強張る。それは存在すること自体が罪と言える代物で、建国三傑の一人であるサリンドラがそれを作ったという事実をラーシュは今でも信じられなかった。サリンドラ。彼女は初代竜王ドラコニスを愛していた。だがドラコニスには番がいた。竜人にとって番は絶対で、番を見つけたら他の竜人に愛情など抱かない。だから竜人は番のいる竜人を愛することはない。プライドの高さゆえに、愛が返ってこない相手を愛することはない。だから普通なら諦める。稀に竜人の中には愛する相手の番を殺す者もいる。しかし、これによって待つのは番を殺された竜人からの報復である。代わりを愛

  • 番の心がわり   第28話 竜王の後悔(2) sideラーシュ

    あのとき、サラリアはラーシュに説明しようとしていた。シーラを傷つけてはいない。それをラーシュは信じなかった。信じるどころか、怯える彼女を冷たい目で見てしまった。(匂いがしただけ……ただ、そんなことだけで……)番の匂いは番からしかしないという『常識』に雁字搦めになり、匂いがしたというだけでシーラを番だと信じた。偽るなんて想像もせず、サラリアを疑い続けた。『まさか』なんて思う理由はいくらでも言える。なにしろ一般の竜人の番だと偽るのだとレベルが違う。竜王の番は竜族の悲願であり、国の存続のために不可欠な王竜。その王竜を産めるのは竜王の番だけ。竜王の番だと偽ることは国の存続に関わる

  • 番の心がわり   第25話 逃亡生活(3)

    サラリアはラーシュに手紙を書いた。当時はトールの為と言い聞かせていたが、いまでは自分も限界に近かったのだと分かっている。逃げては宿を探して、仕事を探して、トールを隠して、周囲を警戒して―――そんな生活を繰り返しているうちに心が少しずつ擦り切れていった。トールの為と言うのも嘘ではない。逃げるたびにトールは環境の変化に怯えていた。幼いながらも何かを感じ取っていたのだろう、知らない土地に来るたびトールはサラリアの服をぎゅっと掴んで離さなくなった。サラリアが少し姿を消しただけでトールは泣き、そんなトー

  • 番の心がわり   第24話 逃亡生活(2)

    いいことばかりではなく問題もあった。 小さな町に突然現れた若い女、しかも妊婦―――人々が興味を持たないはずがない。 親切な人もいたし助けてくれる人もいたが、同じくらい下心を向けてくる男たちもいた。 「夫はいないのか」 「一人じゃ寂しいだろ?」 そう言いながら距離を詰めてくる男たちにサラリアはうんざりしていた。 妊婦であることは男たちにとって障害にならなかった。 むしろ夫の姿がないことで「軽い女」だと決めつけ、一時の関係を楽しもうと誘われることも多かった。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status